轟悠さんの美学
こんにちは、くららです。
轟悠さんの退団会見の写真入りweb記事をいろいろと読みました。

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晴れやかな柔らかい笑顔の写真の数々を見て、轟さんが選ばれた道が最善なのだと思おうと思いました。
立場的に「そのまま」のご自分を公にされることは余りありませんでしたが、会見に臨まれたいしさん自然体で、飾らない正直なお気持ちを、ありのままに話されているように感じました。

退団を決められた時期

具体的に何かがあったわけではなく、「心の中での変化」だったそうです。
昨年の9月末から10月頃に『退団しよう』という気持ちがやってきて、心に素直に従おうと、自然に退団を決められたそうです。

ディナーショーが中止になって、1Day Special LIVE『Yū, Sparkling Days』が配信されたのが9月15日でした。
松本悠里さんが退団発表をされたのが、9月7日

昨年の「歌劇誌」の12月号の表紙が、予告では空白でした。
結局5組のトップスターさんたちが表紙を飾られましたが、当初の予定では轟さんだったのかもしれません。(憶測です)予定外の退団の決意だったのでしょう。

12月に「シラノ」を2回観劇しましたが、その時には既に轟さんの退団は決まっていたのですね。
いつもと同じ最高潮の熱い舞台でしたが、それ以上に感じとられたプラスαの部分は、「コロナ禍の舞台だからかな?」と思うところもありましたが、やはり轟さんの中に決意があったのですね。なんとなく感じていました。

ある記事の中に、「半年悩んで、専科行きを受諾した」というものがありました。
71期のトップスター4人のうち、愛華みれさん、真琴つばささん、稔幸さんが次々と退団されていく中、轟さんは最後までトップを続けられた後専科に異動されました。前例が無かっただけに、ファンとしても驚きのことでした。

退団していく道を選ぶことの方が、専科生になるより、ずっと楽だったと思います。
しかし、半年間悩んだ末、専科へ異動する道を選んでくださり、「春日野八千代さんに続く存在として」頑張り続けてくださった20年でした。

轟さんご自身も会見の中で、「多くの人、作品と出合うことができて、残っていなければ出来ないことだった。当時の選択は正解だった。感謝しています」と話されていました。
私も心からこの20年に感謝しています。

宝塚にとって大きな存在の轟さんでした。その進退をご本人の意思をまず尊重される、理事長さんはじめ、歌劇団には、本当に愛があるなと思いました。

人生は一度きりしかないので、ご自分の自由意思に従って生きていかれることが何よりだと思います。
まだまだ「宝塚の男役の轟さん」を見たかった私には、残念な思いが限りなく残っていますが、轟さんのこれからのお幸せを一番に願いたいと思います。

轟さんの美学

専科に異動する時に、「雪組トップとして退団するのでなければ、大階段をおりたり、サヨナラショーをすることは『ない』と、決心しておりました」と話されたそうです。

ファンの方々は、大階段を降りて宝塚に別れを告げる「セレモニー」で、お見送りをしたかったと思います。

しかし轟さんは20年前からしっかり線引きをされていたのですね。

最後の主演公演「婆娑羅の玄孫」でもサヨナラショーなどを併演しないことを、演出の植田紳爾先生にお願いされているそうです。

「静かに退団させて欲しいと。それが一番私らしい」と仰ったようです。静かに去っていくのも轟さんの美学なのでしょう。

そして、ディナーショーをラストステージとしたいということも、轟さんの願いであり、ご希望だったそうです。

このあたりにも轟さんの美学を感じます。

各組の本公演に主演として特別出演されていましたが、どの組においても和やかな雰囲気で溶け込んでおられ、舞台の向上に繋がっていました。

特別出演は、トップスターの活躍の場が奪われるように見えて熱心なファンの方には歓迎されていないように思えるところもありましたが、生徒さんにとっては良い学びの場、向上の機会だったのでは、と思います。
知らない組で突然主演を演じ、皆を牽引するということは、とても大変なことだと思いますが、それを自然にこなされていたのは、轟さんご自身が線引きをしっかりされつつ、美学を持っていらしたからだと思います。

男役の境地を広げ続けた轟さん

轟さんは、初演の「エリザベート」のルキーニが「男にしか見えない」と言われたように、先頭にたって「男役」の幅を広げてこられました。
特に別箱公演では、「男役像」だけでなく、「宝塚の枠」の幅を広げることにも果敢にチャレンジしてこられました。

轟さんがいらっしゃらなかったら、宝塚の男役の境地は、ここまで開かれていなかったと思います。

昭和の「ベルサイユのばら」が大当たりした次の大作として「風と共に去りぬ」を上演するとなった時に、レッド・バトラー役に「髭」を付けるか、付けないかが、大論争になりました。
当時は、宝塚の主演男役が、髭をつけるなんて「言語道断」という意識があったのです。

それから45年、トップスターが髭をつけるのも当たり前になりました。
「主演男役の髭論争」なんて、今の時代のファンの方には考えられないことでしょう。

今まで「風と共に去りぬ」でレッド・バトラーを演じる機会が一番多かったのが、轟さんです。私が記憶しているだけで5回以上演られたと思います。
「男らしさ」が一番求められる役で、なおかつセクシーで色気があって、包容力があって、豪快で、繊細さで、やさしさもあって…。
男役らしさの極致の役だと思います。轟さんは回を重ねるごとに究めていかれました。

レッド・バトラーに限らず、様々な役において。コメディでも。シリアスでも。

5組で全く色の違う男役を揃えて、組カラーが打ち出せるようになったことは、轟さんが「宝塚の男役」の境地を広げてこられたおかげのようにも感じます。

お茶目な轟さん

タカラジェンヌの退団会見で「退団後ご結婚のご予定は?」という質問は恒例項目です。

轟さんは、満面の笑顔で「ありがとうございます!お待ちいたしておりました!実は、相手の方はお名前は言えないのですが…」と切り出し、いたずらっぽく笑われたそうです。
そして「と、ここまでは考えていたんですが、募集しております!」と再びにっこりして、会見を締めくくられたそうです。

恒例のこの質問に対して、良い気持ちをもっていないファンの方もいらっしゃいます。こんなお茶目なこたえで、報道陣を煙にまく轟さんは一枚上手です。

これからについて

今後のことをたずねられた時に、
「宝塚に入った時から“舞台は男役だけ”で、と決めておりますので、女優は考えていません」と話されたようです。
男役道を究めて来られた轟さんらしいお応えですね。

退団後「何をしたいか、これから考えます」とのこと。

しばらくゆっくり過ごしていただきたいです。
絵を描いて個展も開いてくださったら…。ものすごくセンスがある絵を描かれますよね。他にも沢山趣味をお持ちのよう。

記事を読むと、冒頭に「今後も宝塚を盛り上げたい気持ちは変わらない」とも話されたようです。
専科に異動されて20年、昨日も書きましたが、轟さんの指導力は「マジック」と言ってもよいような素晴らしさだと思います。
そういう道は考えたことは無いと話されたようですが、再び宝塚に携わってくださったら嬉しいなと思います。

まずは残りの宝塚生活を悔いなく幸せに過ごしていただきたいと思います。
舞台を楽しみにしています。

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