昭和のタカラジェンヌ哀史と現在こんにちは、くららです。
昨年のクリスマスに元花組のトップスター高汐巴さんが『吾輩はぺいである』という舞台生活50周年を記念したエッセイを出版されました。
その中で宝塚を退団後すぐに出版された『清く正しく美しく』(1989年出版)のエッセイについても語られていたので、古本を購入して読みました。

そこには今では信じられない「宝塚生活」について綴られていました。当時と比べて、改善されている所もあれば、そのままの所もあるような気がします。

印象的だった部分を、『吾輩はぺいである』と『清く正しく美しく』から、書き綴らせていただきます。

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音楽学校時代「恐怖のどんどん」

本科生と予科生の間にはとても厳しい上下関係があって、予科生は本科生に絶対服従しなければならなかったそうです。予科生が本科生より格好良いことも許されなかったとか。

音楽学校のお昼休み、予科生が予科ルームでお弁当を食べていると、隣の本科生の部屋から壁をほうきで「ドン!ドン!」と叩いて、「〇〇さん、いらっしゃい!」と大きな声で呼び出しがあったそうです。
呼ばれた人は、すぐさま本科ルームに向かい、本科生の円陣の真ん中に中腰で座らされて本科生の小言を聞かせられるそう。

小言というのが、掃除の時間に2階のガラス窓を拭いていた時に、下を通った本科生と目が合いお辞儀をした所、「上級生より高い所から挨拶をするとは何ぞや!」というものとか。

道を歩いている時に、歌劇団の先輩に挨拶しなかったとか。(400名の歌劇団の先輩の顔全部は覚えられないので、それらしき人には挨拶をしまくるという結果になるそう)

他愛もない、どうしようもないことで怒られていたようです。

また1週間に1度、合同反省会というものがあって、お琴教室に本科生が集まりここでも、挨拶をしなかったり、問題のあった予科生が呼び出されて、指導を受けたとか。

高汐さんは、「ドン!ドン!」というあの音は今でも忘れられないと記されていました。

これらの儀式が本当に怖かったので、同期に戦友のような団結と友情が生まれたとも。

音楽学校では、生徒から生徒へ受け継がれてきたこのような不文律の指導方法は、数年かけて徐々に見直しされていることが、2020年9月に報道されました。

前年の担当者だった本科生が一対一で掃除方法から生活態度まで指導してきた分担制度グループ単位になったそうです。今まで生徒さんたちが話していた「分担さん」がなくなったのですね。

舞台人としての指導をすることことから、自由気ままな学校生活ということにはならないけれども、時代が変わっていることを踏まえながら、是々非々に不文律の改善は進められてるとのことでした。

「タカラヅカニュース」を見るだけでも、予科生に笑顔が見られるようになったことが大きく変わったことだなと感じていました。

しかし厳しい上下関係と、本科生の予科生への指導はまだ残っているのでしょう。

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初舞台生の仕事

昭和の初舞台生のラインダンスは、厳しい指導で有名な喜多弘先生の振付。「鬼の喜多」と呼ばれ、罵声が飛び続ける震えるほど厳しい指導風景を随分前ですがテレビで見たことがあります。

喜多先生は温かいお人柄でもあり、愛のある厳しい指導と受けとめられていたようです。

高汐さんは、この初舞台の時から、怒られることに免疫ができ、強い精神力が養われたと記されていました。

初舞台生には最下級生として、下働きのような仕事があったようです。

・楽屋内で食堂「女子会さん」の中次ぎ
楽屋内で上級生が注文の声をあげると、「ハイッ」と大きな声で返事して、食堂に走り込んで注文し、品が出来上がるとお盆にのせて上級生の元へ届ける。絶対に上級生の座布団を踏んではいけないそう。

・電話当番
ベルが3回鳴り終わらぬうちに受話器を取らなければならなかったそう。著書を出版された1989年頃はベルが1回鳴り終わらぬうちに受話器を取らなければならなかったそう。どんどん不文律が厳しくなっていたのてすね。

・おしぼり当番
小休憩時間(芝居とショーの間)に、火のようにアツアツのおしぼりを両手にできるだけ持って、上級生の化粧前に配り歩くそう。冷めたおしぼりは「おしぼり」と言わないそうで、熱さを耐え抜くおしぼり当番だったようです。配り終わると手がパンパンでこの辛さから「スターになってやる!」という思いが湧いたそうです。

現在は?
宝塚大劇場の楽屋の奥深いところに「すみれキッチン」があると聞きます。
しかし初舞台生や最下級生が注文の品を運んでいるということは、聞いたことがありません。食堂の中次ぎの役目は無くなったのでしょうか。各自で食堂に注文にいけば良いことですから。

携帯が普及したので、電話当番は多分今では必要無いでしょう。

おしぼり当番は残っているかもしれません。火傷をしそうなほどアツアツなものを今現在も届けているのでしょうか?素手で持たなくても道具はあります。

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寮生活「すみれ寮」

旧すみれ寮について

高汐さんの時代は、音楽学校の生徒も劇団の生徒と同じ寮に住んでいて、音楽学校の生徒はトイレも一番奥を使用しなければならない等、何事も上級生優先で我慢を強いられる状況だったようです。
各階に洗濯機が設置されていて、黒板に名前を先着順に書くルールだったようですが、先輩がくると「お先にどうぞ」となっていたとか。

その後、建物は第1〜第3建物に分かれていて、音楽学校の生徒は第2すみれ寮を使用し、予科生は3〜4階、本科生は1〜2階を使用していたため、物音を立てないように、上級生に迷惑をかけないように生活することに必死だったとか。

お風呂が大変
下級生は上級生より先に戻り、入浴をすませる必要があったそうです。後から入浴する上級生のために、下級生は綺麗に掃除をしてから入浴を終えていたそうです。
そのため遅くなると下級生は、お風呂に入ることも我慢しなければならないとか。ストレスが大きかったと思います。

現在のすみれ寮について

2015年3月に完成した現在のすみれ寮は、2名で1室を使用。
旧すみれ寮に比べると広々としていて、ミニキッチン、トイレ、バスルーム、洗濯機なども完備していて、民間のマンションと変わらない生活ができるようです。昭和の時代と比べて画期的に改善されています。

ただ旧すみれ寮では、昼食と夕食の提供がありましたが、現在のすみれ寮で食事の提供がないのは不親切だと思います。宝塚受験で体を絞ることが重視されているので、入学後もそのスタイルを維持するために食事の提供がないのかもしれませんが。

私の勝手な思いですが、タカラジェンヌがコロナに感染しやすい傾向にあるのは、体を絞っていて免疫力が低下傾向にあるからかな?と思うところもあります。長い目で見て、食生活の改善を重視することが大切な気がします。

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地方公演の最下級生

現在は「全国ツアー」ですが、当時は地方公演と呼んでいました。

最下級生の仕事
・バスの最後尾のシートに座る
・誰よりも早く目的地に飛び降り、先輩の楽屋の用意をするために会場に駆け込む
・上級生の化粧行李を楽屋前にならべていく
・化粧前と化粧前の間にゴミ袋に使うビニール袋をガムテープではる
・お弁当、スリッパ、私服用のハンガー等を先輩たちに配る

・自分の荷物は開演中に片付け、終演と共にハンガー、座布団、スリッパ等回収し。弁当の空き箱、ごみ等を片付け、バスの最後尾の座席のため、誰よりも先にバスに乗る。

・宿での夕食時は給仕の役目も。

あまりに最下級生の仕事が多すぎますね。
しかもバスの最後尾の座席に座るというのが道理にかなっていません。

その後改善されたのかもしれませんが、今もこの不文律があるなら負担が大きすぎると思います。

旅館のお風呂
お風呂の順番も上級生順。
舞台は9時に終わり、旅館に着くと10時、夕食をすませて上級生がお風呂に入り出すのが11時半。最下級生がやっと入れるのは午前1時頃。

冬の真最中の旅館でのこと
上級生が終わって、やっとお風呂の順番がまわってきたのは夜中の2時を過ぎて。
お風呂に入ろうと思ったら、お風呂の湯が湯船にない。蛇口をひねっても出ない。
先輩たちがお湯を使い過ぎてなくなっていたそう。湯船の底に残った15cmほどのお湯でかけ湯をして、最下級生3人で湯船にはりついて浸かったそうです。地方公演の最下級生哀史です。

現在は、ホテルに宿泊されていると思うので、バスの付いた個室で、お風呂の順番を待つことも無く自由に過ごせていると思います。昭和の時代は「上級生順」のために、様々な辛抱を最下級生は強いられていたようです。

過酷な組替

高汐さんは、星組→雪組→花組→雪組→花組と組替されています。

1980年7月3日~8月1日、雪組『去りゆきし君がために』東京公演出演。
1980年8月6日~8月29日、花組『花小袖』『プレンティフル・ジョイ』東京公演出演。

研8で、雪組から花組の組替時は、7月に東京宝塚劇場の汀夏子さんの雪組公演に出演して、千穐楽の次の日に東京に来た花組メンバーから1日で振りを移してもらい、その2日後には東京宝塚劇場花組公演の初日に出演。

「慣れない新しい組」「不器用な自分」「稽古不足の舞台」の三重苦で、本当に苦しい時代だったと記されていました。

「あっち行け、こっち行けと言うのは簡単だけど、本当にこういう場合、しょうがないとはいえ、本人、あたまにきていたことは確かである」とも。

これ以降の再び雪組へ組替、3か月で花組へと言う組替も、他のスターさんの玉突きで異動された形で、最後はトップスターに就任ということになりました。

現在の組替は、負担にならないよう、余裕がある日程で組まれています。

宝塚で上演された公演に、東京から出演という組替もありません。
早霧せいなさんは、宙組から雪組への組替で、2009年5月雪組東京公演『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』から出演して、過酷だったと話されていました。組替して東京公演から参加というものは、このあたりから無くなったと思います。

現在の宝塚の運営の仕方に多くの批判があがっていますが、昭和の時代に比べたら、かなり改善されています

今年になって月曜日が公休日に統一されたり、公演の終了時間も早まったり、「宝塚の働き方改革」が進んでいます。

あと求められるのは、公演と次の公演のお稽古の間の休日が短すぎることでしょうか?年間8公演になったら、このあたりの問題は解消するかもしれません。

問題と思うのは、「時代遅れの上下関係」や「罵詈雑言が飛ぶ稽古場」、「女性の集団を上手くサポートするべき男性管理者がパワハラ気質であること」等の古い体質。

コロナによって人間関係にもディスタンスができてしまって、以前ならば「宝塚愛」でひとつになれていたことが、そうでなくなっている気もします。

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