こんにちは、くららです。
クリスマスイブは、ふたつの「クリスマスプレゼント」がありましたね。
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クリスマスプレゼント
ひとつは『カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~』の超格好良いポスターの公開。
真風さんの男役の集大成、潤花さんのラストを飾るにふさわしい、とってもお洒落で格好良いポスターで、作品への期待が爆発しました。
ブロンドの潤花ちゃんが可愛くて大人っぽくてまさにボンドガール!眩しいほど輝いています。
そして退団する超お似合いの二人だけでなく、素敵な芹香さんが載っているということは、順当に次期だからですよね。
もう一つは、「スカステ特別番組」!
とってもとっても楽しい時を過ごせました。感想を書いていたら長くなりすぎるので控えます。
元宙組トップスターの貴城けいさんのインタビュー記事をご紹介しようと思うのですが、まず当時の状況を説明させていただきます。
19年前の「2番手シャッフル」
宝塚には5組あるので、トップスターの枠は5つです。
しかしトップスター候補は、それ以上いらっしゃいます。
約20年前の2004年「宝塚90周年」を記念して、各組の2番手級のスターが、他の組に特別出演する「男役2番手特別出演プロジェクト」が行われました。
以前の宝塚は、現在のファン心理では受け入れにくいことを簡単に行っていました。
突然、水美舞斗さん、鳳月杏さん、朝美絢さん、瀬央ゆりあさん、芹香斗亜さんが別の組の舞台に立つことになって、受け容れられますか?
瀬奈じゅんさんに至っては、シャッフルで月組に特別出演されて、その後花組に戻ってこられませんでした。
「おさあさ(春野・瀬奈)」ファンだったので、それはとってもショックなことでした。
その時の対象者は5人では無く、6人でした。
花組…瀬奈じゅん(78期)
月組…霧矢大夢(80期)
雪組…貴城けい(78期)
星組…安蘭けい(77期)
宙組…水夏希(79期)
宙組…大和悠河(81期)
月組だった大和悠河さんは、このプロジェクトの行われる前年に宙組に組替していました。
宙組には2期上の水夏希さんがいらっしゃって、特別出演の対象は宙組だけ2人でした。
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90周年のシャッフルの後
【月組】
・瀬奈じゅん(78期)⇒花組に戻ることなく2004年12月17日付けで月組に組替え。
彩輝なお主演『エリザベート』にエリザベートとして出演。
彩輝なお退団後、月組トップスターに就任。
・霧矢大夢(80期)⇒花組に1回特出後、月組に戻り、瀬奈じゅんがトップスター就任時、月組2番手に昇格。
【星組】
安蘭けい(77期)⇒宙組に特出後、星組に戻る。
【宙組】
大和悠河(81期)⇒星組、外部に出演後、宙組に戻る。(水夏希さん組替後、2番手に昇格。)
【雪組】
・貴城けい(78期)⇒星組、月組、外部公演に特出後雪組に戻る。
・水夏希(79期)⇒雪組、花組に特出後宙組に戻って1作出演後、2005年4月雪組へ組替え。
このシャッフルによって、大きな変化があったのは、月組と雪組です。
瀬奈じゅんさんが月組に組替して、その後トップスターに就任されました。その時に霧矢大夢さんが、2番手に昇格されました。
雪組は朝海ひかるさんが2002年9月24日付で雪組トップスターに就任した時から2番手は貴城けいさんでした。
そこに、水夏希さんが宙組から組替してきました。
そして何が起こったかと言うと、貴城けいさんが宙組にトップスターとして落下傘して1作だけトップスターをつとめ退団されました。
宙組で1作トップスターだった貴城けいさん
貴城けいさんは、初舞台も雪組、そして配属も雪組で、 雪組の貴公子でした。私は朝海さんの後にトップスターに就任されると信じて疑っていませんでした。
水夏希さんが組替してきてから、水さんに押されているような感じもしていましたが、和央ようかさん退団後の宙組トップスターに貴城さんが就任されるという発表があった時は、私は単純に「水さんに貴城さんが勝った」と喜びました。
しかしそれは1作だけのトップだったことが、プレお披露目公演後の退団発表でわかりました。こういうケースは就任発表の時から教えて欲しいものです。
相手役の紫城るいさんは、トップ娘役就任の1作前に月組から宙組に組替されていました。貴城さんと1作だけトップをつとめて一緒に退団されました。
貴城さんが退団された後は、大和悠河さんがトップスターに就任されました。
宙組に組替していきなりトップスターに就任して、本公演1作で退団という、めまぐるしいラストイヤーを過ごした貴城けいさんへのインタビュー記事が公開されていました。
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貴城けいさんが語られていたこと
葛藤と決断
雪組のお稽古期間中に「宙組で主演男役に」という話を急にされて、まず悩まれたそうです。(当時はトップスターは「主演男役」という言葉で表現されていました。)
「トップにならなくても雪組にずっといたい」という気持ちと「未知の組でも、トップという限られた人しか就けない立場についた方がいいのか」という気持ちとの葛藤がすごくあったそうです。
そして2日間じっくり考えて「宙組に行ってみよう」と、決断されました。
感謝
宙組ではウェルカムな雰囲気で迎えられて、お稽古が始まって3、4日で、もうずっとこの組にいたのかなと思うぐらい馴染めたそうです。
その時の組子や、相手役の紫城るいさんに本当に感謝な思いでいっぱいで、宙組に行って良かったと心の底から思っていらっしゃるとのこと。
トップになるだけでも環境ががらっと変わるのに、さらに組替え、そしてさよなら公演とあまりにも濃かった最後の1年だったそうですが、少しでも組子たちに貴城が宙組に来て良かったと思ってもらえるような、そしてファンの皆さんへの感謝を伝えられるような、そういう時間にしたいなと思ってつとめられていたそうです。
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「元宝塚トップスター」の肩書は財産
「元宝塚トップスター」という肩書は、いつでもどこでも、死ぬまで、そして死んでからも、ついてまわるので、自分の中で財産。誇りを持って、それに恥じないように今後も生きていけたらと思っていらっしゃるそうです。
2006年7月3日、宙組トップスターに就任され、2007年2月12日に退団されました。
それ以降宝塚のトップスターは最低でも3作は本公演をつとめられるようになりました。
それから15年しか経っていないので、また「1作トップ」ということもあり得るのでしょうか?
今まで「1作だけトップ」は3人いらっしゃいました。
星組出身のえまおゆうさんは雪組のトップに就任されましたが、専科時代に雪組に特出し、轟悠さんの後を継ぐことになって、轟さんの雪組最後のトップ公演から雪組に出演されていました。数作雪組に馴染んてからのトップ就任でした。
花組出身の匠ひびきさんは、花組でトップに就任されました。
貴城けいさんだけ、全く馴染みのない宙組に落下傘して1作だけトップに就任されたので、とてつもなく大変だったろうなと貴城さんのインタビューを読んで初めて気づきました。
でも今、当時を振り返って、宙組のトップスターになって良かったと心の底から思っていらっしゃるとインタビューに応えていらして、「2番手退団」するより、「1作であってもトップスターなのだな」と思いました。
「宙組のトップスター就任」の計画があったのなら、2番手シャッフルの時に宙組に特別出演していたら良かったのにと思いますが、その頃にはまだ決まっていなかったのでしょうか?
月組のトップになった瀬奈さん、雪組のトップになった水さんは、シャッフル時にトップに就任する組に特別出演されていたので、なんだか不公平に思いました。
そして「落下傘でトップに就任するか」「そのまま組子を続けるか」は、当時は自分で選ぶことができたのですね。
宝塚の人事は、理事長が変わるごとに変わっています。
2021年に木場健之氏が理事長に就任されて、春で丸2年になります。
2000年6月1日付けの当時の各組の2番手・3番手10名を「新専科」に異動させた人事。
2004年の「2番手シャッフル」からの「1作落下傘トップ」。
現在はトップスターの就任年数が長めでかつトップスター候補がひしめいています。かつてより更にトップスター候補が渋滞傾向にあります。
これからどのような人事の采配をしていかれるのでしょうか?貴城さんの記事を読んでいろいろと考えてしまいました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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