
こんにちは、くららです。
NHKのファミリーヒストリー「松岡修造」を見ました。
元プロテニス選手松岡修造さんは、小林一三氏の曾孫(ひまご)ということは知っていましたが、本当にびっくりするほど華麗なる一族でした。そして夢に人生をかけた修造さんの「熱い」生きざまは、華麗なる家系に源流があったのだなと思いました。
小林一三氏は、宝塚歌劇団、阪急電鉄や、東宝を立ち上げた伝説の実業家です。番組では一三氏の業績について詳しく説明されていました。幼い頃から家族に恵まれなかったので、家族に憧れ、家族というものを一つのビジョンの中に組み込んだ経営者。のちにマイホーム主義と言われるような核家族を基本に事業を考えていたそうです。時代の先駆者ですね。
いつも「やってみないとわからない」そのチャレンジ精神にみちた方のようでした。
舞台の撮影をしているなら舞台中継をしてよNHKさん
宝塚に関しては、はじめの方で、花組『愛, Love Revue!』の永久輝せあさんの画像が写りました。
小林一三氏と宝塚のところでは、『愛, Love Revue!』で永久輝せあさんが大羽根を背負って大階段を下りてくるパレードが遠景でしばらく映されて、永久輝さんの顔が大写しになり、羽根をもった聖乃あすかさんと星空美咲さんのパレード姿が流れました。今の宝塚を代表するスターは、永久輝せあさんなのだなと思いました。
こうして舞台を撮影しているのなら、ぜひ舞台中継を放送をして欲しいなと切に思いました。NHKの舞台中継は音声も映像もきれいですから。ちょっと本筋から話がそれてしまいました。先日OHKをNHKが放送をしているのを見てから、「宝塚も!」という思いが募っていて…。
なんで僕の名前は「三」でなかったんだろう
小林一三氏の家系では「三・ぞう」が名前に使われていました。修造さんはご自分の名前の造について、なんで「三」でなかったんだろうと疑問を語られましたが、その後高祖父に同名の「松岡修造」がいたことが明かされました。この初代「松岡修造」にあやかって名付けられたようです。
初代修造氏は大阪で米穀商として成り上がり、その後船会社を創業し、勝負師として一代で財を成した人。エネルギッシュな人でした。
初代修造氏を継いだ潤吉氏(曾祖父)は、実業団スポーツの運営。スポーツ選手を熱く応援していた。
「松岡修造くんとそっくりですね。思い込んだら命がけというか、修造くんにだけ注ぎこまれたのですね」と小林公一氏(宝塚歌劇団元理事長、修造さんのいとこ)
小林一三氏の次男辰郎氏が松岡家の節子さんに一目ぼれして結婚。辰郎氏は松岡家に養子入りして松岡姓を名乗る。
宝塚関連のルーツは山本家にもあった
修造さんの祖母のフサ子さんは5歳の長男を亡くした悲しみを 乗り越えて、三人の娘をタカラジェンヌに。
・千波淳(本名淳子)
・千波静(本名静子)…息子 松岡宏泰(東宝社長)、松岡修造
・千波薫(本名薫)…娘 千波ゆう(元花組76期生 田中里衣さん)
(千波静さんは、44期生 松本悠里さんと同期。男役)
松岡功さん(修造さんの父親)がタカラジェンヌの山本静子さんと出会って結婚して、修造さんたち兄弟が生まれました。
千波タカラジェンヌ三姉妹は、小林一三から繋がる松岡家と血のつながりはありません。
番組に出演されていた田中里衣さん(芸名千波ゆう)は、修造さんのいとこです。元花組トップスターの蘭寿とむさんは田中里衣さんのお兄様と結婚されていると聞いたことがあります。
つまり、稀惺かずとさんは、小林一三氏のルーツとは別に、祖母と二人の大叔母が元タカラジェンヌ、叔母に元タカラジェンヌ、義叔母に元トップスターと、沢山の宝塚関係者の親戚をお持ちなのです。
番組を見るまでは、そのあたりの関係がよくわかっていませんでした。
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テニスか実業家か 2代にわたり同じ選択を迫られる
松岡家は兵庫県芦屋市。
松岡辰郎氏の息子が松岡功氏(修造の父)。東宝の元社長。映画界の発展に努めてこられました。
功さんは中学生の時からテニスをはじめ、大学選手権で優勝し、デビス杯にも日本代表として出場した経験をもつ凄腕。
大学卒業前に、このままテニスを続けるべきかどうか悩み、父辰郎に相談すると、「仕事とテニスは両立しない。一生やる覚悟があるなら別だが」と覚悟を問われ、仕事を選択。
修造さんも幼い頃からテニスをはじめ、高校1年の時に父功さんから「このままダラダラ続けるならやめた方が良い」と言われました。
それから熟考して、高校1年の終わりに慶応高校を自主退学して福岡県の柳川高校に編入。「俺はテニスというものに人生をかける」。
父親が経験したのと同じ「人生の選択」を迫られ、父親とは反対の道を選んだのです。
その後のインターハイで三冠、1年後ボブ・ブレッドに見出されてアメリカへ。プロテニス選手への道を歩み始めました。父親の功さんは、世界ランキング50位以下にと目標を。
修造さんにとって祖母のフサ子さんは太陽のような存在。テニスで一番大変だった頃、苦しくなると空を見上げて、「おばあちゃん」と言うと前向きになれたそう。帰国するたびにフサ子さんのお味噌汁を楽しみに飲むことがルーティンになっていたそう。
修造さんのランキングは最高46位に。平成7年ベスト8に入り、ウィンブルドンで試合。相手は世界最強のピート・サンプラス。父の功さん母の静子さんも揃って観戦に。試合で窮地に追い込まれた時に父母の側にいくと、父親は無言だった。そこから修造さんは全力をかけて戦い惨敗には終わらなかった。
引退する最後の最後まで自分の全てをかけて戦ってきた修造さん。
「全力でいけ、すべてをかけろ」精神。それは一族の家系の精神の中にも一貫してあったもの。
小林一三氏から始まり、それぞれの“夢” に人生をかけてきた家族の物語でした。
修造さんの兄で東宝の社長の松岡宏泰さんも番組に出演されていました。テニスは宏泰さんの方が修造さんよりお上手だったそうです。
稀惺かずとさんについて
今回のヒストリーに娘の稀惺かずとさんの話は出てきませんでした。
稀惺かずとさんも、「全力でいけ、すべてをかけろ」という熱い精神を貫かれているのが、舞台姿から推察できます。公演ごとに課題を乗り越え、輝きを増していってる姿はすばらしいと思います。
一方、小林一三氏の玄孫(4代目)なので、「トップスターになって欲しい」という皆からの大きな期待を寄せられていることは、重すぎる重荷なのではないかなと心配な思いもあります。でも前に進んでくださっていることが嬉しいです。重さにくじけそうになることがあるかもしれませんが、宝塚ファンは応援しています。
星組に配属されて、つい先日まで礼真琴さんという素晴らしすぎるトップスターから多くのことを学べたことは、大きな財産だと思います。その巡り合わせの中に入れたのも稀惺さんの持って生まれた運。
父親の修造さんが、誰の力も借りずに一人で日本人プロテニスプレイヤーとして大成されたように、稀惺さんもご自分の力で頂点に昇っていく力を十分おもちだと思います。
周りが何かお膳立てをする必要など全くないと感じています。松岡修造さんの生きざまを見ても特別扱いが嫌いなスタンスのよう。私が勝手に思うに、宝塚歌劇団は配慮しすぎなように感じています。
熱い血を受け継いでいる稀惺かずとさんの今後の活躍、大いに期待しています
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