日航機墜落から40年、北原遥子さん黒木瞳さん

こんにちは、くららです。
本日は乗客・乗員520人が犠牲となった日本航空(JAL)のジャンボ機墜落事故から40年になります。
墜落現場となった「御巣鷹の尾根」がある群馬県上野村で11日夕、灯籠流しが行われ、黒木瞳さんが参加されていました。

宝塚歌劇団で活躍した吉田由美子さん(当時24歳)の同期で俳優の黒木瞳さんは初めて参加した。吉田さんが亡くなったことを認めたくなくて今まで来ることができなかったというが、40年の節目に訪れることを決めた。「やっと来られた。遅くなってごめんね。でも、来る勇気がなかった」と涙を拭い、川に灯籠を浮かべた。引用読売新聞

北原遥子さんについて

吉田由美子さんは、芸名北原遥子さん。67期生で黒木瞳さんの同期です。
北原遥子さんは宝塚史上屈指の美人さんだと私は思っています。昭和のベルばら以降では、北原千琴さんと同じくらい。

北原遥子さんは入団前に体操競技で活躍されていたので、初舞台の花組『宝塚春の踊り』/『ファースト・ラブ』では、ロケットでバク宙のようなすごい技を披露されていたと記憶しています。(間違っていたらごめんなさい)

黒木瞳さんと北原遥子さんは、研1の1月(1982年)から『おはよう朝日です・土曜日です』(朝日放送)に初代アシスタントとしてレギュラー出演していました。素顔が綺麗で可愛い娘役さんふたりは、とっても印象が良かったです。
舞台の方でも、2人は次々と抜擢されて活躍されるようになりました。黒木瞳さんは研2で大地真央さんの相手役として月組トップ娘役に就任。

北原遥子さんも期待の娘役さんでしたが、1984年遥くららさんサヨナラ公演である「風と共に去りぬ」のお稽古中に、突然退団されました。ファンの間では遥くららさんの後、麻実れいさんの相手役になるかな?と期待されていたのに。最後の舞台を踏むことも、袴姿でファンへの挨拶も何もありませんでした。退団日は1984年4月30日付。

劇団に無断で、手違いでテレビ出演してしまったことで退団に追い込まれてしまっとか。当時は今のようにSNSなどありませんから、詳しいことは全くわかりませんでした。突然の退団がただただショックでした。(後日、親友だった黒木瞳さんの著書で、くわしいことを知りました。)

その後北原遥子さんが芸能界で活躍されると知った矢先に、日本航空機墜落事故が起こりました。北原遥子さんが犠牲者の一人として、連日大きく報道されていました。

この時のショックも忘れられません。日本航空機123便の墜落事故というと、私はまず北原さんのことを思い出します。

黒木瞳さんについて

黒木瞳さんは、北原遥子さんの大親友でした。1984年にテレビに出演してしまったことから、北原さんが劇団から謹慎を言い渡された時に、北原さんは「寮にいるのはつらい」と、黒木さんが借りていたアパートで、泣きながら過ごされていたそうです。黒木さんが著書に記されていました。

8月12日事故の日、黒木さんは東京宝塚劇場で舞台中。楽屋に北原さんから「これから大阪に行くの」と電話があり、「明日、会おうね」と約束していたそうです。
黒木さんの著書には、飛行機の事故を知り、さらに北原さんが犠牲になった事実を知るまでのことが書かれていました。

どんなにショックだったことでしょう。
当時東京宝塚劇場では、月組『二都物語/ヒート・ウエーブ』が上演されていました。
黒木さんは舞台に穴をあけることなく舞台を気丈につとめられました。
この公演の千秋楽9月1日に大地真央さんと黒木さんは退団されました。

今日の朝日新聞には、灯籠流しには、同期の小乙女幸さん、文月玲さんも参加していて、翌日の12日は御巣鷹の尾根に登ると話されたそう。
「明日は久しぶりに同期会だね」と、3人で笑いあったそうです。

昭和のベルばらの頃からの宝塚ファンの方にとっては、忘れられない8月12日だったと思います。

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